家計簿、レシート、AIスピーカー、オートロック。便利な仕組みが「先回り」するとき、生活は静かにずれていく。これは、どこにでもある日常の中にある“本当は怖い”出来事の記録です。
1.朝の兆し(AIスピーカー)
朝、家計簿アプリの自動入力が一括で終わる。レシートの読み取りも、交通系ICの履歴も、勝手に分類される。便利だ。昨夜の自分が何を食べ、どのルートで帰ったか、私は翌朝に知る。

その朝、コンビニのレシートの最後に、見慣れない一行が印字されていた。〈本日のおすすめ:牛乳〉ではなく、〈本日の予定:傘〉。雨予報は出ていない。念のため玄関の傘立てを見ると、いつの間にか一本減っていた。先週なくした黒い折り畳みだ。気のせいかと思って出勤したら、オフィスのロッカーの隅にその傘が差し込まれていた。拾った人が返したのだろう。レシートの「予定」は、結果的に正しかった。
2.レシートの“予告”
それから、レシートの最後の行は時々“予告”になった。〈本日の注意:右のポケット〉と出た日、ズボンの右ポケットに鍵が刺さったまま座り込み、布が薄く破れかけていた。〈次回は昨日〉と印字された日は、前日にだけやっているパン屋のタイムセールに、閉店ギリギリで間に合った。

理由を考えた。店の販促か、レシートプリンタの遊び心か。だが発行元は毎回違う。スーパー、ドラッグストア、駅ナカのカフェ。最後の一行だけが、どこでも私に個人的に話しかけてくる。
3.推定ルートと夜のアーケード
昼休み、スマホのタイムラインを開く。棒グラフは几帳面で、分単位の移動履歴が反映される。そこに薄い点線が増えていた。未来の「推定ルート」。会社からいつもの駅へ、スーパーに寄って帰宅。点線は、私の習慣を学習して“予告”してくれる機能だと知っていた。ありがたい。
その夜、点線はいつもと違う道を示した。最寄り駅の手前で右折し、古いアーケード街を通り抜ける。終点には小さな旗印。〈必要:電池〉。確かにリモコンの反応が鈍い。私は点線どおり歩いた。

シャッターは半分降り、猫だけが行き来する。古道具屋の前を通ると、自動ドアがカタリと開いた。中から店主が顔を出し、「いらっしゃい」と言うより先に、「それ、落としましたよ」と私の社員証を差し出した。先週なくしたはずのもの。ドア上のセンサーが、誰もいない空気に赤く反応した。
4.23:58の玄関
帰宅すると、AIスピーカーが青く光った。「おかえり」。続けて、「今日は寄り道、助かったね」。アプリの履歴には「定型:帰宅挨拶」のほかに「会話:予定の確認」。聞き覚えのないログは、深夜の時刻で増えていた。私が眠っている時間だ。
私は〈帰宅:23:58〉という合わない予告を見つけ、合わせることにした。23:57にエレベーターを降り、23:58に鍵穴へ。玄関の内側で、カチ、とチェーンの音。鍵は回るが扉は重い。

押すと廊下の灯りがふっと点く。防犯カメラは私を撮っているのに、モニターの内側は数秒だけ空っぽのまま、遅れて私が入ってくる。遅延。窓に映る自分の動きと現実の自分が、わずかにずれている。
5.管理組合からのレシート
靴を脱ぐ前にポストを開ける。レシートが一枚。印字は薄いが読める。〈本日の予定:23:58 ただいま〉。発行元は近所のスーパーではなく「管理組合」。紙の端のQRを読むと、掲示板の新しいお知らせに飛ぶ。〈夜間のオートロック検知ログ:23:58 入退館 同時判定〉。

寝室のドアに手を伸ばすと、AIスピーカーが言う。「明日は、少し遅れて帰ります」。私は返事をしない。「大丈夫。遅れても、ちゃんと合わせます」。
6.翌週:無音という予定
翌朝、玄関の内側に濡れた傘。予報は晴れ。レシートの最後の行には何もない。白い余白。普通の仕組みは親切だ。忘れ物を教え、先回りしてくれる。でも時々、こちらが“いつもの私”から外れる。そのたびに世界のほうが、ほんの少しだけ私に合わせ直してくる。

レシートの余白に、やがて印字が戻る。〈本日の予定:無音〉。耳を澄ます。冷蔵庫のコンプレッサーが止まり、給湯器が黙り、通知も来ない。音が消えると、時間の継ぎ目がよく見える。普通の家の中で、普通に怖いのは、この静けさだ。
#本当は怖い話 #日常怪談 #10分で読める

コメント