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第3話 再生数の子守歌

 

「ここ、動画で何度もバズってるんですよ。
 でも……最近は、笑えない“ネタ”が増えてきてて」

 

 ワンルームにしては妙に広い部屋だった。

 白い壁、安っぽいフローリング。
 その真ん中にリングライトと三脚が据えられ、天井には配信用のマイク。
 どこを向いても、誰かの視線ではなく「レンズ」がこちらを覗いている。

 帳場統真は、ドアにもたれかかるように立ったまま、部屋全体を一度だけ見渡した。

 黒いスーツに、地味なグレーのネクタイ。
 ただ、ネクタイピンだけが古い和柄で、時代から浮いている。

 彼の右手首、シャツの袖口から覗くあたりに、焼け焦げたような痕が薄く残っていた。
 依頼人はそこに気づくことなく、早口に続ける。

 

「オカルト系のチャンネルなんです。
 “訳アリ物件で一晩過ごしてみた”とか、“リアル心霊スポット配信”とか……ご存じないですか?」

 

 男は二十代半ば。派手な色に染めた髪、ブランド物のパーカー。
 チャンネル登録者数〇〇万人――と書かれた銀色の盾が、テレビ台の上に飾られている。

「影山さん、でしたね」

「はい。影山リュウジって名前でやってます」

 影山は、机の上にスマホを置いたまま、落ち着かない指先で何度も画面を点けては消していた。
 そこには、停止ボタンを押したままの配信アプリ。
 最新のアーカイブに付けられたタイトルが、目に痛い。

 ――【ガチ】事故物件で“本物”の子どもの霊が映りました【閲覧注意】

 

「最初は、よくある作り物の怖い話だったんです。
 ドアをドンドン叩く音を後から入れたり、影を合成したり……。
 でも、この部屋に引っ越してから、編集してないのに“映る”ようになって」

「“本物”が、ですか」

 統真は、事務的な声で確認する。

「はい。チャット欄でも、めちゃくちゃ盛り上がって。
 『いま、ベッドの下に子ども写ってるぞ!』とか、『後ろのドアの隙間やばい』とか……。
 再生数も伸びて、広告単価も上がって……正直、ありがたいくらいで」

 そこで、影山の言葉が途切れた。

「――でも、こないだから、うちのメンバーや視聴者に、変なことが起き始めて」

 

 机の端には、印刷したメールの束が乱雑に積まれている。
 件名だけが赤ペンで線を引かれていて、どれも似たような内容だった。

 『配信を見てから、家の押し入れで子どもの笑い声がする』
 『うちの子が、動画の“あの子”の歌を勝手に口ずさむ』
 『夜中になると、画面に映ってないのに、スマホの向こうで誰かが喋ってる気がする』

 

「ネタにしてたら、洒落にならなくなった。そういうことですね」

「……はい」

 

 統真は、ソファの背にコートを掛けると、静かに鞄から一冊の分厚い帳簿を取り出した。

 古い和綴じのノート。紙は黄ばんで、表紙には何も書かれていない。
 だが、開く前から、そこに「何か」が詰まっているのが、この部屋の空気を通して伝わってくる。

「依頼内容を、確認させてください」

「え?」

「“霊を消してほしい”ですか。
 “動画のネタだけ取って、被害を止めてもらいたい”ですか。
 それとも――“自分たちだけ助かればいい”ですか」

 

 影山は一瞬、言葉を失った。

 その目に、反射的な怒りと羞恥が揺らぐ。
 だが、統真の視線とぶつかった瞬間、その感情はすぐに飲み込まれた。

 心の中を覗き込まれているような、冷たい感覚。
 影山は思わず、視線を外した。

 

「……被害を、止めてほしいです。
 視聴者も、メンバーも。できれば、ですけど」

 最後の一言だけが、小さく付け足される。

「了解しました。では、順番に片付けましょうか」

 

 統真は、帳簿をぱらりと開いた。

 白いはずのページに、すでに細かい文字がびっしりと並んでいる。
 金額のような数字もあれば、人名、地名、感情めいた言葉まで。

 そして、影山の名前を探すまでもなく、まるでインクがこちらを主張するように、黒々とした一行が目に飛び込んできた。

 

 ――影山リュウジ
   負債:視聴者の恐怖と好奇心を利益に変えた回数 × 再生数

 そのすぐ下に、小さく追記されている。

 ――呪いの子:配信を“面白がった”者 多数
 ――呪いの親:この部屋で、鍵をかけられていた子ども

 

 統真は、ほんのわずかに眉をひそめた。

 ページ全体が、じわじわと重く沈むような感覚。
 紙の向こう側から、小さな指で裏を引っかかれているような、ざらついた気配。

 右手首の古い火傷が、じくりと熱を持つ。

 ――まだ、増える。

 帳簿が、そう訴えているようだった。

 

 ◇

 

 部屋の奥に、ひとつだけ鍵のかかったドアがあった。

 上から貼り紙が重ねられている。
 管理会社の警告文、「立入禁止」の赤い文字、そして影山たちがふざけて貼ったのだろう、手書きのポップ。

 『【ガチ危険】この部屋、開けたらチャンネル終了のおそれアリ』

 

 統真は、ドアノブにかけられた新しい南京錠ではなく、その少し上――ドアの縁を指先でなぞった。
 木目の間に、爪でひっかいたような跡がいくつも並んでいる。

「ここは、撮影には使っていないんですね」

「使ってないっていうか……使えないんです」

 影山が、胸ポケットから鍵束を取り出しながら答える。

「管理会社から、この部屋だけは絶対に開けるなって言われてて。
 でも、最初の頃、一回だけ、サムネ用に少しだけ開けたんですよ」

「そのとき、何か見ましたか」

「見てないです。真っ暗で……いや」

 影山は、言葉を飲み込む。

 代わりに、後ろから女性の声がした。

「聞こえたんですよ、あの時」

 振り返ると、カメラマンの女性が立っていた。
 ショートカットで、細いピアスが揺れている。

「メンバーの百合(ゆり)です」

 彼女は軽く会釈しながら、ドアのほうを見つめる。

「あのとき、鍵を開けたら、向こうから歌が聞こえました。
 小さい子が歌う、古い童謡みたいな」

 百合は、唇をかすかに動かす。

 覚えたくもないメロディを、無意識にトレースしてしまうように。

「“あーぶくたった にえたった”……って」

 

 統真の視線が、ほんの少しだけ鋭くなる。

「それ以来です。配信中でも、たまに聞こえるようになったの」

「動画には、入っていないんですよね」

「マイクには入ってなくて、うちらにだけ聞こえて。
 でも、その日のアーカイブのコメント欄が、地獄みたいで」

 百合の声が震える。

「『歌声聞こえる』『子どもの声やばい』『時間〇〇分あたり聞いてみ』って……。
 こっちには聞こえてるのに、データには残ってなくて。
 それでも視聴者は“聞こえた気がする”って盛り上がって、再生数がバグったみたいに伸びて」

 

 統真は、鞄から小さな電卓を取り出した。

 数字は表示されていない。
 だが、彼が適当に叩いたように見えるキーのリズムに合わせて、帳簿のページがひとりでにめくれた。

 マイナスとプラス。
 命の数と、恐怖の数。

 彼の指先は、それらをざっくりと割り算している。

「……再生数、総計でどれくらいですか」

「最新のシリーズだけで、たぶん……八百万は超えてますね」

 影山が、スマホを確認しながら答える。

「海外の切り抜きもあるんで、正確にはわかんないですけど」

「八百万」

 統真は、その数字を口の中で転がしてみせる。

 日本で、昔から妙に縁起のいい、しかしどこか濁った数字。

「“八百万の神”という言い方がありますが……。
 今回は、“八百万の好奇心”というところでしょうか」

 

 その瞬間、部屋のどこかで、カメラの電源がひとりでに入った。

 カシャ、と小さな音がして、リングライトが点灯する。
 誰も触っていないのに、レンズがゆっくりと部屋を横切るように動いた。

 

「電源、切ってきたはずなんですけど……」

 百合が青ざめる。

 統真は、ふう、と一度だけ静かに息を吐いた。

「……時間をかけると、余計に増えますね」

「増える?」

「貸し借りは、いずれゼロに戻ります。
 どちらかが払う。それだけの話です」

 

 影山たちには、その意味がまだ半分も理解できていなかった。

 ただ、統真の声だけが妙に落ち着いていることだけが、逆に不安を煽った。

 

 ◇

 

 夕方。窓の外のビル群が、少しずつネオンに縁取られていく。

 統真は、部屋の真ん中に帳簿を置き、その前に古い万年筆を立てた。
 インクは、黒ではなく、どこか赤黒い。

「儀式とかって、やるんですか?」

 影山が、おずおずと尋ねる。

「やりますよ。
 ただ、あなた方が想像しているような、呪文やお札を大量に貼るタイプではありません」

 統真は、さらりと言う。

「やっていただくのは……“謝罪”と“決定”です」

「決定?」

「誰に、どれだけ“支払わせるか”という決定です」

 

 影山は、そこで初めて、統真のやっていることの意味を薄く察した。

 だが、その背後から別の声が飛び込む。

「リュウジ、やっぱ撮ろうぜ、これ」

 

 スウェット姿の若い男が、カメラを抱えて入ってきた。
 キャップを逆さに被り、青白い顔。
 編集担当のショウタだと、影山は紹介した。

「“本物の除霊師”が事故物件で儀式とか、神回確定っしょ。
 スパチャ読み切れないくらい来るって、マジで」

「お前、ふざけんなよ。こんな状況で配信とか――」

「だってさ、どうせやるなら、録っといたほうがよくね?
 視聴者にも、“もう見るな”って注意できるし」

 

 ショウタの言葉には、利己と善意が半分ずつ混ざっていた。
 それを聞き分けるには、訓練された耳と、帳簿が必要だ。

 統真は、無言で帳簿をめくる。

 ショウタの名前の横には、すでに小さな文字が書かれていた。

 ――負債:視聴者の不安を、編集によって煽った回数

 

「配信は、しないほうがいいですよ」

 統真は、淡々と告げる。

「カメラを回せば回すほど、“向こう側”からの視線も増えます。
 視聴者が覗いているつもりで、覗かれているのは、むしろあなた方のほうですから」

「でも……」

 ショウタは、カメラを抱きしめるようにして黙り込んだ。

 影山は、唇を噛む。

 今さら「撮りません」と言い切る勇気も、数字を捨てきる決断も、どちらも持ち合わせてはいない。

 

 その迷いを、統真は見逃さなかった。

 彼の右手首の火傷が、再び熱を帯びる。

 ――あの時と、同じだ。

 自分のために帳簿を使った、あの夜の感触が、皮膚の裏からじわりと滲み出す。

 最初のページ。赤い文字で書かれた、あの少女の名前。
 そこに刻まれた一本の線が、今も消えない。

 

 統真は、帳簿を閉じかけ――そして、思い直したように、ゆっくりと開いた。

 

「……わかりました。条件をひとつだけ」

「条件?」

「配信をするなら、“終わらせる”覚悟を持ってください。
 チャンネルを、か。あなた方の生活を、か。
 どちらを手放すのかは、あなたが決める」

 

 影山は、ぐっと息を飲んだ。

 そして、暗い目でカメラを見つめる。

 自分の人生のほとんどを注ぎ込んできたもの。
 フォロワー、再生数、ランキング。
 それらが、霧のように消えていく未来を、想像しようとする。

 だが、うまくいかない。
 頭に浮かぶのは、サムネイルの色と、伸びたグラフばかりだ。

 

「……配信、します」

 影山は、搾り出すように言った。

「でも、これで最後にします。
 このシリーズも、この部屋も、全部」

 

 統真は、わずかに目を細めた。

「そうですか。では――」

 彼は、テーブルの上のカメラを指先で軽く叩く。

「撮るなら、すぐに始めましょう。
 “向こう側”が、全員揃っているうちに」

 

 ◇

 

 配信タイトルは、ほとんど話し合うことなく決まった。

 【緊急生配信】事故物件から最後の報告と謝罪をします【本当に危ないので見ないでください】

 カウントダウンが画面に表示される。
 視聴者数は、ゼロから一気に数百、数千へと跳ね上がっていく。

 

 統真は、カメラの少し横に座った。
 帳簿と万年筆は、その手前に置かれている。

 画面には、影山と百合とショウタの三人が並んで座り、その少し後ろに、無表情の黒いスーツの男が映り込む形だ。

 

「みんな、急に呼び出してごめん」

 影山が、緊張した笑顔を作り、カメラに向かって頭を下げる。

「タイトルにも書いたけど、今日は謝罪と……あと、ある人の“お祓い”を配信したくて」

 チャット欄が、一気に流れ始める。

 『やば』『待ってました』『本物の霊媒くる?』『釣りだったら低評価な』
 『昨日のアーカイブガチでやばかった』『あの子の顔はっきり映ってたぞ』

 

 統真には、その文字列が、別のものに見えていた。

 「期待」「興奮」「恐怖」「嘲笑」――さまざまな感情の細い糸。
 それらが一本一本、帳簿のページに絡みついていく。

 

 百合が、震える声でマイクに向き直る。

「うちの動画を見て、怖い思いをした人、ごめんなさい。
 なんか、変なことが起きてる人は、ほんとに……すぐ見るのやめて。
 できれば、もうチャンネル登録も外してほしくて」

 チャット欄が、ざわつく。

 『どうした』『やめるの?』『やば』『泣きそうなんだが』

 

 ショウタが、カメラの向こうに向かって深く頭を下げた。

「再生数稼ぐために、盛った編集とかも、いっぱいしてきました。
 怖がらせたいからって、やりすぎたの、否定できないです。
 ほんと、ごめんなさい」

 その言葉に合わせて、帳簿の上の黒いインクが、かすかに揺れた。
 謝罪は、わずかだが「支払い」としてカウントされる。

 

 統真は、万年筆を手に取った。

 画面の向こう側から、視線が集まってくるのを肌で感じる。
 見られているのは影山たちだけではない。
 帳簿を通して、「こちら側」に踏み込んできている者もいる。

 

「帳場と申します」

 統真は、カメラにも一応、名乗った。

「私は、“整理”の仕事をしています。
 物の整理、人間関係の整理、そして……呪いの整理です」

 チャット欄が一瞬、固まったように流れを止める。
 数秒後、爆発するようにコメントが雪崩れ込む。

 『ガチじゃん』『名前かっこよ』『本物きた』『設定が凝ってて草』
 『手元のノートなに?』『万年筆こわ』『右手の火傷なにそれ』

 

 統真は、チャットに目を向けない。

 帳簿の最初のページを、軽く親指で撫でた。
 そこには、赤い文字で刻まれた一つの名前。

 ――彼が、自分のために行った“清算”の代償。

 紙から、微かな熱が伝わってくる。

 

「……今回の件を、説明します」

 統真は、ゆっくりとページをめくりながら語り始めた。

「この部屋には、かつて一人の子どもが閉じ込められていました。
 親は、仕事と称して家にいない時間が多く、子どもは一人で長い時間を過ごさねばならなかった」

 画面の向こうで、何人もの視聴者が、同時に息を呑む気配がした。

「窓は、落ちないように。
 ドアは、勝手に外に出ないように。
 “安全のため”に、鍵をかけられていた」

 統真は、鍵のかかったドアのほうをちらりと見る。

「その子は、歌っていました。
 寂しさを紛らわすため。
 誰かがドアの向こうにいると信じたくて」

 

 チャット欄に、『やめろ』『重い』『笑えない』といった文字が流れ始める。

 統真は、その一つ一つが、負債をわずかに「返済」していることを知っている。
 同時に、まだ画面から目を離さない者たちは、新たな負債を積み上げている。

 

「ある日、その子は、湯を張ったままの風呂場で……」

 統真の言葉が、一瞬だけ途切れた。

 右手首の火傷が、熱を通り越して疼き始める。

 ――その光景を、細部まで語る必要はない。

 彼は言葉を変えた。

「……事故が起きました」

 

 部屋の空気が、ぐっと重くなる。

 リングライトの光が、一瞬だけ弱くなり、すぐ元に戻る。
 カメラの映像が、細かくノイズを走らせる。

 

「その後、部屋は“事故物件”として、安く貸し出されることになりました。
 管理会社は、その事実をできるだけ小さくしたかった。
 だから、“この部屋だけは開けるな”と伝えた」

 統真は、影山たちを一瞥する。

「そこへ、あなた方が来た」

 

 影山は、唇を噛みしめながら頷いた。

「……ネタになると思ったんです。
 “事故物件の鍵の部屋、開けてみた”って。
 怖いの撮れたらラッキーだし、ダメでも企画として面白いし」

「実際、“怖い”ものは撮れた」

 統真は、帳簿に視線を落とす。

「ただ、それは本来、あなた方だけが払うべき代償でした。
 なのに、動画にして公開したことで、“借り”が外へ漏れ出した」

 

 チャット欄が、もはや読めないほどの速度で流れる。

 『見ちゃダメな配信では』『やばい』『鳥肌』『録画していい?』『配信切って』
 『でも目が離せない』『この続き気になる』『広告入ってて草』

 

 統真は、その最後の一行に、わずかに視線を止めた。

 ――広告。

 画面の端に表示される企業ロゴと、スキップボタン。
 配信が始まるたびに流れ、クリエイターとプラットフォームに収益をもたらす仕組み。

 帳簿のページに、黒い点がぽつり、ぽつりと増えていく。

 視聴者の数。
 その裏で、名前すら知らないスポンサーたちの「貸し」も、同時に積み上がっていく。

 

「さて」

 統真は、万年筆を構えた。

「ここからが、本題です。“清算”の方法を決めましょう」

 

 影山たちは、固唾を飲んで統真を見つめる。
 画面の向こうでは、何万人もの視聴者が、同じように息を詰めている。

 

「選択肢は、三つあります」

 統真は、さらりと言う。

「一つ。
 この部屋と、このチャンネルを閉じ、あなた方がすべての負債を負うこと」

 影山の肩が、びくりと震える。

「二つ。
 この部屋を封印し、負債を“スポンサー”と“プラットフォーム”に回すこと」

 ショウタが、ぎょっと目を見開いた。

「さん……スポンサーって、まさか」

「企業も、プラットフォームも、形のある“人”です。
 責任を取る余地は、ある」

 

 チャット欄に、『スポンサーに飛ぶの?』『プラットフォームに呪い回すとか草』『でもありかも』といった文字が踊る。

 

「そして、三つめ」

 統真は、ペン先を帳簿に軽く押し当てた。

「この配信を、“見ている者すべて”に、負債を等分すること」

 

 部屋の温度が、一気に数度下がったように感じられた。

 百合が、呆然とつぶやく。

「それって……視聴者に、呪いをばらまくってことじゃ……」

「ばらまくのではありません。“戻す”のです」

 統真は、淡々と否定した。

「あなた方は、恐怖を売り物にしてきた。
 視聴者は、それを“面白い”と消費し続けた。
 貸し借りは、いずれゼロに戻ります」

 

 影山の喉が、ごくりと鳴る。

「選べ、と?」

「ええ。
 あなたが、“親”ですから」

 

 影山は、顔を両手で覆った。

 数秒、長い沈黙。
 その間にも、チャット欄は止まらず流れ続ける。

 『リュウジどうする』『視聴者に飛ばすのはさすがに』『スポンサーにいけ』『自分で責任とれ』
『でも全部背負ったらチャンネル終わる』『生活どうすんの』『俺たちだって見たくて見てたしな』

 

 影山は、ゆっくりと顔を上げた。

 その目には、恐怖と、わずかな決意と、未練が混ざった色が宿っていた。

 

「……三つめ、でお願いします」

 声は震えていなかった。

「俺たちだけじゃ、背負いきれない。
 でも、これまで散々“一緒に怖がろうぜ”って煽ってきたのは、俺らだから。
 “一緒に責任取ってくれ”って言うのも、筋だと思うんで」

 

 百合が、驚愕に目を見開いた。

「ちょっと待って、それって――」

「嫌なら、今すぐ配信閉じろって、最初に言ってる。
 それでも残ってるやつは、覚悟決めて見てるはずだろ」

 影山は、カメラの奥を睨みつけるように見つめる。

「“自己責任で見ろ”って、俺、何回も言ってきたから。
 今さら、こっちだけ助かるとか、ありえない」

 

 統真は、わずかに目を伏せた。

 帳簿のページが、ひとりでに揺れる。
 赤黒いインクが、面白そうに踊っているようにも見えた。

 ――やはり、人間の都合は、いつも呪いを肥やす。

 

「了解しました」

 統真は、万年筆のキャップを外した。

「では、“決定”は出ました。
 あとは、書類仕事です」

 

 ◇

 

 ペン先が、帳簿の上を滑る。

 黒と赤のあいだのような色のインクが、紙に染み込んでいく。

 

 ――本件に関わったすべての者
  視聴者 投稿者 スポンサー プラットフォーム
  それぞれが享受した「恐怖」「興奮」「利益」を、負債として記録する

 ――清算方法
  最も大事にしているものから順に、少しずつ失わせる

 ――ただし
  “本当はやめたかったのに、やめられなかった者”の分は、軽くすること

 

 最後の一行を書き込むとき、統真の手が、ごくわずかに震えた。

 自覚している後悔には、少し甘い。
 それが、彼自身が勝手に追加した、帳簿の“例外条項”だった。

 そのたびに、最初のページの赤い名前が、じわりと濃くなる。

 

 ペン先が紙から離れた瞬間――

 鍵のかかったドアが、内側から勢いよく叩かれた。

 ドン、ドン、ドン、ドン――!

 配信画面が大きく揺れる。
 チャット欄が、悲鳴と歓声と興奮で埋まる。

 

 『なにこの音』『ドアやばい』『子ども?』『笑い声した』『やめろやめろやめろ』

 

 百合が、咄嗟に耳を塞いだ。

 だが、歌声は、頭の内側から響いてくる。

 “あーぶくたった にえたった
  にえたかどうだか たべてみよう”

 

 統真は、立ち上がった。

 右手首の火傷が、焼き直したかのように熱い。
 だが、その痛みを無視して、ドアの前に立つ。

 帳簿のページが一枚、自動的にめくれた。

 そこには、小さな文字で一行だけ書かれていた。

 ――この部屋で、最後まで歌っていた子どもの“借り”

 

「……返してもらいましょうか」

 統真は、小さく呟く。

 そして、ドアノブにそっと手をかけた。

 

 ◇

 

 ドアの向こうは、真っ暗だった。

 窓は遮光カーテンで閉ざされ、天井の電球は外されている。
 だが、床には、幼児用のマットと、いくつかのおもちゃの影があった。

 カラフルな積み木、ぬいぐるみ、小さなプラスチック製のキッチンセット。
 そのすべてが、誰かに乱暴に蹴飛ばされたように散らばっている。

 

 統真が一歩、足を踏み入れた瞬間、視界の端で何かが動いた。

 小さな影。
 壁と壁のあいだを、走り抜けるような気配。

 

 カメラは、ドアの隙間から、その様子を必死に追おうとしていた。
 配信画面はノイズだらけになり、チャットはもはや読めないほどの速度で流れている。

 

 統真は、帳簿を片手に持ちながら、静かに語りかけた。

「もう、歌わなくていい。
 ここにいる“お兄さんたち”は、自分で払うと言っている」

 

 暗闇の奥から、微かなすすり泣きが聞こえた。

 それは、マイクにも、カメラにも拾われない。
 だが、画面の向こうで、多くの視聴者が同時に耳を押さえた。

 聞こえた気がしたから。
 聞こえないはずのものを、聞こうとしてしまったから。

 

 統真は、帳簿の端のページを開く。

 そこは、「未回収の負債」だけを溜めている場所だった。
 過去の事件、封印された呪い、そして……彼自身の名前。

 最後の行に薄く滲む「帳場統真」の文字が、またほんの少し濃くなる。

 

 彼は、空いているスペースに、小さく一行を書き込んだ。

 ――この子の“寂しさ”は、ここで預かること

 

 インクが、紙に染み込み、すぐに乾く。

 その瞬間、部屋の温度が、ふっと上がった。

 歌声が止む。
 代わりに、かすかな笑い声が一度だけ、耳の奥をかすめた。

 

 統真は、ドアを閉めた。

 鍵は、もう必要ない。
 だが、彼は念のため、ポケットから小さな紙片を取り出し、ドアの上に貼りつけた。

 そこには、簡単な一文字だけが書かれている。

 ――終

 

 ◇

 

 配信画面には、再びリビングの様子が映し出された。

 影山たちは、呆然と座り込んでいる。

 カメラの向こうでは、視聴者数がゆっくりと減り始めていた。
 チャット欄にも、「ブラウザを閉じます」「もう見ない」といったコメントが目立つようになっている。

 

 統真は、マイクの前に座った。

「これで、“こちら側”でできることは終わりました」

 彼は、画面の奥を真っ直ぐに見つめる。

「今、画面を見ている人。
 あなたがたは、“見ない”という選択肢もあったはずです」

 チャット欄に、『うぐ』『耳が痛い』『でも見ちゃった』といった文字が流れる。

 

「それでも、ここにいる。
 その分の“借り”は、帳簿に記録しました」

 統真は、帳簿を軽く持ち上げて見せた。

「安心してください。命を奪うような形では、取りません。
 ただ、あなたが一番大事にしているものを、少しだけ削るだけです」

 

 “少しだけ”。

 それが、どれほど残酷な言葉か、ほとんどの視聴者はまだ知らない。

 

「それは、時間かもしれない。
 人間関係かもしれない。
仕事かもしれないし、健康かもしれない」

 統真は、静かに言葉を続ける。

「ただ、一つだけ覚えておいてください。
 “面白いから”という理由で人の不幸を消費したとき、その代償は、必ずどこかで支払われる」

 

 その言葉を最後に、配信は切れた。

 

 ◇

 

 数日後。

 影山のチャンネルは、予告通り更新を停止した。
 最後の配信は、そのままアーカイブとして残され、コメント欄だけが静かに伸び続けている。

 管理会社は、問題の部屋をしばらく「募集停止」にしたと噂されている。
 その理由を、知っている者は少ない。

 

 一方で――

 

 配信をリアルタイムで見ていた高校生の一人が、SNSにこんな投稿をした。

「あの生配信見てから、推しカプの絵がまったく描けなくなった。
ペン持つと手が震える。
でも、宿題もレポートも普通に書ける。
推しだけが、何も浮かばない。
大事な“楽しみ”が、どこかに行った感じ」

 

 別の会社員は、匿名掲示板にこう書き込んでいた。

「あの配信見たあとくらいから、残業中に画面の文字が読めなくなる。
上司の指示書が、“全部同じ文字”に見える。
でも、給料明細と、YouTubeのコメントだけはやたらクリアに読める」

 

 どちらも、たいしたことはない。
 命に別状はない。
 ほんの少し、大事なものが削られただけ。

 

 そのどちらも、スレッドの奥のほうで、こんなレスを受けていた。

「あの生配信、見ないで閉じた人間からすると、羨ましい悩みだな」

 

 ◇

 

 夜。
 帳場統真は、静かな部屋でひとり、帳簿を開いていた。

 最初のページ。
 赤い文字の少女の名前に、また一本、細い線が追加されている。

 そのすぐ下。
 最後のページに滲む自分の名前が、ほんの僅かに濃くなっていた。

 

「……また、増えましたね」

 統真は、自嘲にも似た息を漏らす。

 机の上で、小さな電卓がひとりでに動いた。
 数字が、勝手に弾き出される。

 “八百万”という数字が、一瞬だけ表示され、すぐにゼロに戻る。

 

「貸し借りは、いずれゼロに戻ります」

 統真は、自分に言い聞かせるように呟いた。

「ただ――ゼロに戻る前に、誰がどれだけ失うかは、まだ決まっていない」

 

 窓の外では、どこか遠くの部屋から、かすかな歌声が聞こえた気がした。

 “あーぶくたった にえたった”

 統真は、耳を澄ませることなく、そっと帳簿を閉じた。

 

 帳簿の背表紙から、赤黒いインクの匂いが、ゆっくりと部屋に滲んでいった。

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